2009/12/09
このレポートは紀里谷和明氏が2009/10/17に東京・勝ちどきの@btfにて開催したワークショップの内容を知人のうるみさんがまとめたものを本人の許可のもと再編集して掲載しています。
ワークショップ導入
ワークショップ開始30分ほど前に会場に着いた紀里谷氏。
今回はみんながいる部屋と同じところで待機。
10人ほど席に着いた状態で、みんなに、
「今日は何を求めに来たの?」と質問を一人一人していきました。
その答え = 紀里谷氏への質問を聞いて、「多岐にわたるねぇ~」と。
その後、一番前に座っていた大学生に訊きました。
「なんで就職難なんだと思う?」
「……不況のせいだから、、」
「やっている人数が、それを目指している人数が多いからだよ。
不況のせいじゃない。一線で働いている人がいると、
下から入ってこられない。楽しいと思わないとだめ。」
今回の定員は60名。赤ちゃんも来ていました。
というわけで、ここからスタートです。
ワークショップを10年やっています。最初は3人くらいで、
カメラマンになりたい人、技術的な知識を得たい人から始めました。
無償で私の知識・技術を渡すので、受け取ったものを人に渡してください。
あなたがそうであったように、
花屋さんをやっている人であれば、花屋になりたい人がいる。
魚屋さんをやっている人であれば、魚屋になりたい人がいる。
学生であれば、あなたが通っている大学に入りたい人がいる。
その人たちに、知っている知識を分け与えてください。
参加するのであれば参加して下さい。
参加しないのであれば、帰ってください。
さっき、どうやったら仕事ができますか、
という質問がありましたが、それは、コミュニケーションです。
映画、写真、小説、脚本、なんでもそう。コミュニケーションです。
クリエイティブの仕事は、自分が伝えたいものを具体化して、
それを人に伝えようとしているだけ。
それをやりたくない人は、自分で作って自分だけで見ていればいい。
人に見せることを選択する = コミュニケーションであるので、
この場でもコミュニケーションを要求します。
返事もしないのであれば、お帰りください。
欲しいものがあってここに来ているのなら、欲しいものは、言う。
社会もすべてそう。質問がある人は質問してください。
現代社会では、みんな恐がっている。
今日集まっているのがたかが50人なのに、
手を挙げるのが怖い、笑われたらどうしよう、
嫌われたらどうしようと思ってしまう。
これが諸悪の根源だと思う。
特に、クリエイティブ、つまり、
コミュニケーションをする仕事に携わっている人が、それではだめ。
ここでは、恥ずかしいとか、恐怖などとはお別れしてください。
前後左右の人と、握手をしてください。(みんなで握手。)
これだけでも、場の雰囲気が変わるでしょ?それがコミュニケーション。
今までにワークショップに参加したことがある人、手を挙げてください。
参加したあと、何をした?
AEDの講習会に行った。
映画のことを聞いたので、映画のことに関して説明をした。
知人にWEB知識を教えた。
知らない人にも積極的にあいさつをした。
当たり前のことだよね。
それ以上のことを、続けて下さい。
Q1「仕事でうまく結果が出ないときの、モチベーションの上げ方を教えて下さい」
失敗という言葉は、幻だと思う。
そこで諦めるから失敗になる。
何をしていても、何の仕事をしていても、
成功するか、失敗するか、にフォーカスをあてると、その奴隷になってしまう。
重要なのは、やると決めたことをやることであって、それが楽しいか楽しくないかである。
映画は、完成させなければいけない。 完成しないと失敗になる。
映画を完成するということを、100%疑いのないこととしてとらえている。
完成をさせるまでに、沢山のとんでもない障害が出てくる。
でもその障害は、現われるべくして現われているものであると思う。
映画を完成させることが、僕の中で確実なのだから。
プロジェクトをやる以上、
自分のなかで、それを成功させると決めていないといけない。
途中で起こることは、ちょっとした不都合。
出資すると言っていた会社が買収された。では、どうするか。
これで駄目なんだ、ではなく、
不都合なことが起きてしまったな、どうクリアしていこうか、ということ。
クリアするのは当たり前であって、障害が現れるのは当たり前。
モチベーションが下がったというのであれば、それは錯覚でしかない。
下がるくらいなら、その完成させると決めたプロジェクトを信じていないということ。
特に若い子、成功するしないを考えずに行動すべき人たちが、成功にとらわれがちな気がする。
どうやったらカメラマンになれる?どうやって食える?どうやったら成功する?
と言っている人は、カメラマンにはなれない。
なぜならば、写真を撮っているからカメラマンなのだから。
カメラマンになりたいと言って、写真を撮っていないいっぱい人がいる。
映画を撮りたいと言って、撮っていない人がいっぱいいる。
職業に憧れるのではなく、その行為を愛して下さい。
写真が好きで、撮り始めた。撮り続けた。その作品が認められて、その作品に人がお金を払った。
それで食べていけるようになった。それだけの話。
カメラマンになりたい。
では、学校に行かなければいけない。
アシスタントにならないといけない。それは幻想。
なんで写真を撮ってみないの?
撮ってみて、それでも分からないのなら学校に行けばいい。
成功する・しないよりも、映画を撮りたいから撮っています、というのが重要。
お金の話なら、もっと効率のいい仕事がいくらでもある。
でもそうでなくてこの仕事を選んでいるのだから、
なんであるのか、ということを考えなければならない。
Q2「この会場までなにで来たのですか?勝どきの街を観てどんな印象をもちましたか?そして、生活の中でどのようなモノに目がつくのですか?」
タクシーで来ました。
印象に関しては、全く分からない。一度ここに、青木さんに会いに来たことがあったくらいで。
(青木さん:会場となった@btfの社長さんで、トップのグラフィックデザイナーさん。)
その真意はなんですか?
質問者「ふだん、どんなものが気になるのかを知りたいです。」
なんでも目に着きます。
クリエイティブは、今まで何を見てきているか、
その幅がどれくらい広いのかで、その人の引き出しが決まっちゃう。
この仕事は、INPUT(入力)とOUTPUT(出力)だと思う。
OUTPUTは、作品として世に出ていくもの。
INPUTとは、自分が見てきたこと、感じてきたもの、経験してきたもの。
これが多ければ多いほど、組み合わせたり加工したり編集したり、その分のOUTができる。
INPUTはOUTPUTの材料。
経験していないことを、なるべく経験しようとしている。良いことも、悪いことも。
おいしいものを食べる。これは重要。でも、まずいものを食べるのも、これ重要。
スイートに泊まる経験と、野宿する経験。
この差が、モノを作る上での材料になっていく。
自覚しながら、自分が知らないことをやっていかないといけない。
プレッシャーの中で、自分のやりたいことだけをやれちゃうことがある。
今出ている作品は、本当に狭い。作っている人たちの知識がめちゃくちゃ狭い。
絵を描いている人が、絵しか知らない。
グラフィックやっている人が、グラフィックしか知らない。
音楽をやっている人は、音楽のことを全然知らない。
知っていても日本の現代の音楽しか知らない。
過去に遡ろうともしない。外国の音楽にもいかない。
そういう人たちに対して、それを本当にやりたくてやっているのかなと思う。
クリエイティブに売り上げが最初から設定されている。
映画がいい例。テレビをそのまま映画にもっていってしまう。
流行っているからこの人を使っちゃおうとか、方程式をくっつけているだけ。
『CASSHERN』は、『新造人間キャシャーン』を題材にしてつくったけれども、
その当時(公開:2004年4月)は、そういう動きがなかった。
新しい動きになると思ったから、必死にやった。
でも、蓋を開けてみると、変な方向に動いちゃっているなというのが今の印象。
だから『GOEMON』は、原作がないものにこだわった。
何を経験しているのか、経験しようとしているのかがとにかく重要。
遊ぶなら徹底的に遊ぶべき。人がバカじゃないのということを徹底的にやるべき。
そんなことをしたら笑われる、バカだと言われるのではないか、と思うのは危険。
人間は動物。人間はちょっと前まで猿だったことを忘れてはいけない。
本能、衝動をないがしろにしてしまったら、
本当の意味でのコミュニケーションができないと思う。
なぜならば、みんな動物だから。
よく、インスピレーションはどこからくるのですか、と聞かれるけれども、
実はそれは難しいことではない。誰にでも、インスピレーションはおりてくる。
紀里谷さんの頭の中を見てみたいです、と言われるけれども、
俺とみなさんで、考えていることに大差は殆どない。
でも俺は、衝動に注意を払っている。
インスピレーションに忠実になろうとしているし、
それをがむしゃらに具現化しているだけのこと。
お昼にカレーを食べた、ラーメンを食べた。そこに理由はないでしょ?
それを食べたいから食べた。それに対して、実際に行動に移すか移さないかの違い。
ラーメンを食べたいけど、少し遠いところにある。
じゃぁ近くの蕎麦屋でいいやと思って蕎麦を食べた。
これはクリエイティブにおいても同じことが言える。
突拍子もない衝動が生まれた。
でもお金がかかるからやめよう、お金持ちになってからやろう、それと同じ。
それを具現化するんですか、しないんですか?
インスピレーションとはなんですか?という質問は、
衝動に注意を払っていないから出てくるのだと思う。
夕焼けをみて、綺麗だな、と思うことは、誰に教わったわけでもない。
子供をみて、可愛いと思う。なんで? 分からないでしょ?
そういうこと。この業界を難しく考えすぎ。
唯一言うなれば、自由だということ。
これをやったら笑われるとかのストッパーがない。他の人に比べて、僕にはない。
まずは、恐れないでください。恐がることを取り払わないといけない。
さっき、始まる前にどんな質問をしにきたのですかと聞いた時、
「たいしたことないんですけど」と言ったけれども、それも恐いということ。
もうそれ自体いらない。
"謙遜"は、物事を成し遂げた人が使う言葉。
成し遂げていないのに謙遜をするのは、できない人のやらない言い訳でしかない。
あの人は"才能"があるから、あの人は"天才"だから、これも嘘。
"才能"、"天才"は努力をしない人、恐れている人の言い訳。
"才能"、"天才"というものは、俺はないと思っている。
あなたはそこまで努力して、"あの人は才能があるから"と言っているのですか?
天才と呼ばれる人を何人も知っているけれど、
みんなもれなく、めちゃくちゃ努力している。泣きながらつくっている。これが現実。
インスピレーション、感性があればつくれるんじゃないの?
と言うのは、努力をしていない人が言う言葉。
難しく考えすぎ。
努力をするだけでいい。努力して、失敗して、それを繰り返して。シンプルに。
夕焼けが綺麗だなと思うのはみんなの本能。
本来であれば、その本能、衝動に正解が生じると思う。それに忠実になるだけ。
そこに忠実であれば、みんなコミュニケーションができるでしょう。
それなのに、人間は脳を使い始めて、これが流行るからとか、
これをやれば日本で売れるなどの情報とか、トレンドとか、これは脳が処理している話。
そうではなくて、衝動、本能に僕は密着したい。
もちろん頭も使いますよ。組み合わせなんだろうけどね。
Q3「興味がたくさんあって、モデル・役者・絵を描いたりしているのですが、財布が空っぽです。借金もしています。衝動に従うとお金がありません。そういう時はどうしたらいいでしょうか。」
知らないよ。どうしてほしいのよ。
質問者「いざという時にお金がない。バイトに行く電車代がない。帽子も売っています。」
でもまだ余計なモノ持ってるじゃん。
その帽子も、サスペンダーも。
それを売ってからの話。
いざという時はどんな時?
本当にいざという時はくるの?
いざという時、本当にお金が必要なの?
そんなの、根拠のない、未来への不安にすぎない。
今その不安を考えていて、今やるべきことをやっていない。
明日地球がなくなるかもしれないのに、
今そんなことを考えていて、しょうがなくない?
今、選択肢がありすぎる。
なんで役者やっているの?「やっていて楽しいから。」
なんでモデルやっているの?「いつもと違う自分を見せたい。」
違う自分って何? 自分って何?「……見たまんまですね。」
は?
周りの人たち、聞いていてどうですか?
今首をかしげたあなた、どうですか?
「自分としての信念がないから、選択肢に悩まされているのかなと思う。」
なんで信念がなきゃいけないの?「情熱を保つために。」
この人はあると思っているんだよ? 信念ある?
質問者「あります。」
これがやっかい。みんな、そう思っている。
じゃぁ役者になるために死ねる?「死ねます。」
モデルは?「考えます。」
絵描きは?「死ねます。」
じゃぁ役者、絵描きの二つだね。
今のあなたは、魅力がない。魅力を俺は感じない。
なぜなら、迷っているから。ぶれているから。ぶれている人には魅力はない。
だから、あなたはいい役者になれない。
どちらを選択するか、決めるべき。
僕にもそういう時期があった。でもある時、俺はやめた。
雑誌の編集の人に、「好きな写真を撮るためなら
飢え死にしちゃっていいじゃない。」と言われた。
そのとき、好きなことをすると、決めた。
雑誌社が何を言おうと知ったこっちゃない。
そうしたら、仕事もくるようにもなった。
やるならやる。やらないならやらない。もう時間の無駄。
Q4「環境問題やエコが企業の都合のいいように使われていると思うのですが、どう思いますか? (飲料のCMで、1本買うと何円寄付することになる、というような広告の仕方について)」
常に私たちは環境問題に利用されていますよ。
じゃぁ、なんでブーツ穿いているの? なんでチェックの洋服を着ているの?
なんでネックレスしているの? なんでお化粧してるの?
質問者「人によく見てもらいたいからです。」
それも恐怖ですよね。
お化粧していないとブスと思われるんじゃないだろうか。
お化粧していないとモテないんじゃないだろうか。
それを利用してCMにしちゃっているんです。
服なんて、本来は2着あればいい。
エコ問題だけではない。常に常に、私たちは踊らされている。
リサイクルっていうけど、買わなきゃいいじゃん。
どの業界も、つくりたいからつくっているの?
売上を上げたいからつくっているの?
売上を上げるために、作りたくもないものを量産している。
その時点で環境問題はアウト。
ダイヤモンドとか宝石もいらない。
それを発掘するのに、何人の人が死んでいるのか、
何人の子供が奴隷になっているのか、
どれだけの内戦が行われて、何人の人が飢えているのか、知ってる?
環境問題以前の話。だまされる方がおかしいって最近思う。
テレビとかも、こんな番組おもしろいの?という番組ばかり。
一人一人が、これはちょっと違うんじゃないの?と思うことができるはず。
買わなきゃいいじゃん。一個あればいいじゃん。
時計だって一個あればいいじゃん。
1本1000円のサングラスを10本買うのと、
1本10000円のサングラスを1本買うのでは、金額としては同じ1万円だけど、
その1万円分をつくる資源は、1000円のものは1万円のものの10倍かかっている。
安ければいいだろうという流れになっているけれども、 その10本分が地球上から搾取されている。
石油をその分使って、奴隷をその分使っている。
高くてもいいから、1個にしましょうよ。
今、10億人が飢餓。6人に1人が飢餓。奴隷の数は史上最多。
僕の今の洋服は、機内に持ち込めるサイズのキャリーケース1個の中に全部入る。
ジーンズ1本、カーゴパンツ1本、スーツ1着、タキシード1着、あとジャージ1着。これだけ。
靴もスニーカーと、ブーツ、タキシード用のエナメル靴、あとサンダル、1足ずつ。それだけ。
これで、ことが足りる。それに気付いた。
これで、この前タイのバンコクの王女様に会ってきた。
時計なんて持ってない。携帯電話でいい。
世界の戦争は、今に至るまで、資源の奪い合いのために起こっている。
石油のために起こっている。使われる石油の量を減らしませんか?
エコと言う前に自分が、必要でないものを、必要と思わされて買っていませんか?
必要でもない職業にしようとしていませんか?
本当に、その仕事をやりたいんですか?
全てにおいて、本当に必要かどうか、今一度検証すべき。
経験とは別です。経験はいろんな幅があった方がいいけれども、
今持っているもの、買おうとしているもの、それは本当に必要なんですか?
欲しければ買えばいい。でもそれは、戦争の原因に繋がっていくと思う。
環境問題の質問が沢山出るけれども、それ以前の話。
Q5「情熱大陸の紀里谷さんの放送を見て、その中の「ほどほどができない」という言葉に心を打たれました。ほどほどにしている人とのコミュニケーションの仕方を教えて下さい。そして、人生の大目標を教えて下さい。」
今、とてつもなく恵まれている。
1940年とかは戦争に行かないといけなかった。東京が焼け野原になって、
広島・長崎に原爆が落とされて。それは、たかが60年前のこと。
戦争の時代に、映画を撮りたいと思った人も、音楽をやりたかった人も、
結婚したいと思った人も、戦争に行かないといけなかった。
その人たちは未来の人に、自分たちのようになって欲しくないと、
未来の人に、選択肢を与えたいと思って行ったんだと思う。
ちょっと離れた北朝鮮に生まれていたら、今の時代でも選択肢はない。
地球上の1/4くらいの人しか、選択肢がない。
たかがこの50年、100年の期間でそうなった。
今選択肢があるって、宝くじ当たるよりもすごいことだと思う。
だから、やる。必死になって死ぬまでの時間を使う。
最後は死ぬんだから。遊ぶ時は徹底的に遊ぶ。
だから、ほどほどということを出来ないんじゃなくて、したくもない。
ほどほどにする人とは、"オレはこう思う"と言えばいいと思う。
仕事を"ほどほどに、これくらいでいいよね"という人は、俺は切っちゃう。
それは俺が、切るって言える立場にいるから言える。
言えるようになるために、好きなことを遂行するために、その立場に、上に行こうとする。
大目標。
目標は確かに大事だけれども、目標が達成されるかされないかは重要ではない。
大切なのは、死ぬ間際に、納得しているか、していないか。
明日とか、1時間後に死ぬかもしれないんだから。
それでも、今現在、納得しているかどうかがとにかく重要。
不幸せとはなんなのか。それは不安であったり、自由ではないということだと思う。
自由ではない、ということは、信じていないことをやらなければいけないということ。
不安は、漠然とした未来を考えるから不安になる。
でも、今は大丈夫でしょ? 今のあなたに問題はないでしょ?
今、あなたはどうなの? それだけの話。シンプルですよ。
Q6「先ほど、天才と言われる人たちは努力を沢山した、という話が出ましたが、紀里谷さんは映画監督になる上で、どのような努力をされてきたのですか?」
努力という言い方が悪かったかな。
好きなことをやる、ということだと思う。
ゲームがめちゃくちゃうまい人いるじゃん。高橋名人だっけ?
ああいう人から、「努力しましたー!」とはあまり聞かなくない?
でも、相当やっているはず。それって、好きだからやっているわけじゃん。
努力っていうと、しかめっ面でやるイメージだけど、好きなことをやればいいと思う。
俺も、まず映画を撮ろうって決める。
そして、映画を完成する。絶対に完成する。なぜなら、諦めないから。
その工程でいろんなことが起こるけど、全部ひっくるめて楽しい。
これを人から見たら、努力になるのかも。
Q7「出版社に勤めて、営業をしています。先ほどの、売るためのテレビCMの方程式が、出版の社会でもあります。出版社でやりたい内容の本と、売上を上げるための内容の本が違うけれども、その本も扱わなければいけない。どうしたらいいでしょうか?」
俺は、お金が欲しければ、違う仕事をしている。
違う仕事の方が、お金が儲かることは分かっています。
であれば、好きなことをする。
好きなことの方が、勝つんじゃない?
この質問は、延々と言われていることですよね。
青木さんはどう思われますか?
青木さん「自分なりに解釈をします。
それをクリアしたうえで、自分で考え直します。考え上げます。」
表には出してなかったんだけど、ゲーム機のCMをつくっていたんです。
その仕事をやるときに、この仕事の目的ってなんだろうって考えた。
俺のエゴを見せたいのか? 俺のエゴを見せたいのなら、映画でやればいいと思った。
エゴを見せたいのなら、最初からCMはやらなければいい。
そのCMをつくろうとしている人から、
そのゲーム機を売りたいという願い、モチベーションを感じた。
クライアントが何を目指しているのかを聞いて、それを遂行させるようにした。
映画とCMで、別のことをやっていると思っていた。
映画の話として、売るための映画をつくることを、悪いとは言わない。
でもそれなら、本当にやりたいこと、書きたいことがあれば、自費出版すればいい。
給料なしで、あなたは自費出版を助けられますか? その覚悟がありますか?
もっと言えば、作品自体に力があれば、大きな出版社からでなくても売れるはず。
業界のことは、言い出したらきりがない。
自分がどうするのか。
仕事に納得しているのか。していないのなら辞めて、模索するべき。
広告写真の仕事をしていたこともあったけれど、
その仕事に疑問を持ったから一度全部辞めた。
でも、CM制作をやったときは、俺は違うことを目指したいと思った。
クライアントの想いをどうやって伝えるのか、
ということに焦点をおいたら、違う世界にみえた。
Q8「紀里谷さんは、作品の観客、受け手側のことをどのように思いながら作品をつくっているのですか?」
そればっかりはコントロールできないですよね。
どういう風に見てほしいですか? 映画の見どころを教えて下さい、とよく聞かれる。
でも、こう思って下さいと言っても、受け手はそうは思わない。
『CASSHERN』がいい例。勉強になった。
見る側を、コントロールすることはできない。
かと言って、サービス業はやりたくない。
企画ありきの映画は、一種のサービス業だ。
いろんなモノづくりのなかで、
"おまえらには分かんねぇよ"という人と"お客様は神様です"という人がいる。
俺は、その中間にいたい。
私は前に進むので、みなさんも前に来て下さい、ということが重要だと思う。
受け手が"神様"であると、全てが衰退していくことになる。
受け取る側がチャレンジしていかないと、作品のレベルがどんどん下がっていく。
政治家もそう。サービス業になっている。
自分が健康で、輝いていれば、それだけでいいんじゃないですか?
こう思ってもらいたい、というのは実は、押し付け、エゴが入っている。
自分が納得してやっていること・やっているものを、
見た人がいいなと感じて、それをやってくれればいい。
この方がシンプル。
こうやって話していて、こう思ってほしいなんて思っていない。
自分が思っていることを正解だとは思わない。押し付けるつもりもない。
分からない。人がどう感じるかなんて。人はコントロールなんかできない。
Q9「そんなに好きではないけれど、紛争地帯に活動に行っている人とか、道の掃除をしている人などのように、自分のスキルを社会のために使っている人のことをどう思いますか?」
その人たちって本当に、そんなに好きではないって思っているの?
「……」
そういう人たちがいるからその話をしているんでしょ? それは想定の人たちの話?
「想定です。」
じゃぁ分からない。その人たちが本当にそれをそんなに好きじゃないのかどうか。
でも何らかのモチベーションがあるからそういうところに行くんでしょ?
何を知ろうとしているんですか? 偽善について語りたいのですか?
「そういうわけではありません。……まとまらないうちに聞いてしまって……」
どんな行動でも、動機があるわけでしょ?
お金が欲しいとか、有名になりたいとか。
動機があればいいんじゃないの?
俺が言っているのは、
どうせやるのであれば、好きなことをやろうよ、ということ。
Q10「キャストを決めるときの決め手を教えて下さい。」
衝動がほとんど。
「人柄とかですか?」
キャスト候補のほとんどの人が、会ったことのない人だよ。
その人が出演している作品を観て、すごいなと思った人にオファーをする。
会ったことがないから、オファーして実際に会ってみてから、どんな人か分かる。
会ってみて、やりやすい人もいるし、やりにくい人もいる。
でも、その人ともコミュニケーションをとっていく。
重要なのは、映画が完成すること。
そのためだったら何でもしますよ。
"どうやってコミュニケーションをとるのですか?"という質問。
目的のために、コミュニケーションをとらないと先に進めないのであれば、とるでしょ。
"コミュニケーションをとらなかったら、あなたの家族を殺しますよ"と言われたら、
そんな質問出てこないでしょ。
Q11「私は音楽で仕事をしているのですが、現在、紀里谷さんの作品に音をつける作業はどうされていますか?募集していますか?」
音をつける作業は自分ではしていない。
募集しています。音楽って重要ですよね。
「音源を持ってきたので、聞いてください。」
聞きます。あとで聞きますね。
Q12「紀里谷さんの、はっきりしている性格になった過程を教えて下さい。そして、ご自身がありたい姿を教えてください。」
さっきの飢え死にしなさいと言われた出来事が一つと(Q3)、
子どもの頃、祖父が切腹をした話を聞いて育った。
常に子どものころから、死とは何か、というのが付きまとっていた。
自殺は、自分の死に対して、自分の運命を自分でコントロールすること。
それを常に、常に考えていた。
究極のところに目を向けていかないと、人は迷うと思う。
航海していても、一番星があれば、今いる場所が分かって、迷わない。
人それぞれ、みんな、自分の一番星が絶対に必要だと思う。
俺の場合は、死が、その一番星かもしれない。
であれば、思うように生きたい。
迷いたくない。
迷うのって、ほんと辛くないですか? 20代のころ、すごく迷った。
迷いながらやっていても、それは長く続けられない。
あっち行ったりこっち行ったり、凄い体力を使った。
でもある時、"いいや"と決めた。
それは死を受け入れた時。
迷わないためだったら、死んでもいい。
迷うくらいなら、死んだ方がいい。
これは極論ですよ。
でも、その一番星は絶対にあった方がいい。
人によっては、それが宗教になったり家族になったり、いろんなものになると思う。
でも、今の日本では、そういうものをもちづらくなっている。
宗教はないし、思想をもったら危険だと言われてしまうし。
それでいて、今の日本は、なんでもありの世界。
恵まれているが故に、自分がやることを、自分が決めなければいけない。
決めたならば、そこからは何の問題もない。
自分がありたい姿。
それは、迷いたくない。自分自身に納得したい。
人から見られてどう、とかではない。
死ぬことは悪いことじゃないと思う。
知人が死んで、寂しいなとは思うけれど、
その人のことをかわいそうだな、とは思わない。
ある種、生きていること自体が幻、と俺は思っている。
「世間虚仮」(せけんこけ)と最後に言って、聖徳太子は死んだ。
世の中は幻なんだ、と言って死んだ。すごく分かる。
時間は、現在という、点の連続。
さっきの質問も、もう過去のこと。5分後に何が起こるかも分からない。
それを好もうが好ままいが、そういうもの。それくらい、時間はいい加減。
俺は、世の中は映画みたいなものだと思っている。
自分が映写機になって、目の前のスクリーンに映し出しているのを自分が見ているだけ。
自分が変われば、スクリーンの中で起こることが変わっていくと思う。
いくら光の幻に手を伸ばしても変わらない。
であれば、自分がスクリーンの中を変えたいように変える。
そうすれば、スクリーンに映し出されるものは変わっていくと思う。
こうやって、なぜ人はねたむのかとか、どんなにいろんなことを言っていても、
自分の中にも、そういう要素はある。ないとは言い切れない。
僕も人を憎むことがあります。ねたむこともある。
それは、自分で気をつけるしかない。
みなさんとぼくは、大差はない。
みんな同じくらい、人をねたんだりすると思う。
でも、みんなが見ている現実と、俺が見ている現実は違う。
みなさんが一人一人見ている現実は違う。
だから、自分が変われば、見る世界は変わると思う。
時間とか空間とか、それはいい加減なもの。
さっき、「あれは過去」と言ったのも、もう過去。
ビックバンから始まって、今も宇宙は膨張しています、って。空間もいい加減なもの。
みんな、自分の思い通りに生きられるはず。そうしたら、実はうまくいくと思う。
みんなが自分の好きなように生きたら大変なことになる、と言う人がいるけど、
みんな今まで、そんな体験はしてないでしょ?
みんなが好きなようにやっていくなかで、
誰かがゴミ掃除をしようと思う人が出てくるんじゃない?
誰が掃除をするんですか?という話が始まるけれど、
人の目を気にするからそういう仕事をしません、と言っているだけの話。
人の目を気にすることをやめれば、やる人が出てくるんじゃないの?
カッコイイ仕事をしないとモテないとか考えているから、そういう仕事をしなくなる。
本当に、映画監督をやらなきゃいけないの? 本当にデザイナーやらなきゃいけないの?
この世の中、希望と絶望で成り立っている。
コップの水が、半分あるんですか? 半分ないんですか?この捉え方の違い。
どちらを信じるか。どちらが好みか。
俺は、希望を信じます。
Q13「紀里谷さんが、映画を撮ったり、それを宣伝したりしているのは、独学ですか?」
もちろん!
「マーケティングも独学ですか?」
はい、では、いつものをやってみましょうか。
こちらに来てください。
(質問者が前に出てきて、紀里谷さんの携帯電話を渡される。)
その携帯電話を皆さんに見せて。
では、それを作ってください。
質問者「これをつくる……。鉄からですか……? これをつくっている会社に行って、ディスカッションをして、つくります。」
それで?
質問者「販売してもらうように、人を集めて……」
うん。
学校に行った?「行っていません。」
学校に行っていないよね。 それくらいの話。
その会社の人とディスカッションをすれば、いい。
なんで学校に行かなければいけないの?
作り始めて、そこで初めて、自分に何が足りないかが分かる。
その携帯電話をつくらないと殺されますって言われたら?
質問者「がむしゃらに作ります。」
学校は関係ある? mustではない。必要であれば、行けばいい。
騙されないでください。
みなさんは自由なんです。
なんでもできる国、時間に生きているんです。
不幸せの定義 = 奴隷の定義と思っている。
奴隷は鎖につながれているだけではなくて、自由がない。
自由がないとは、自分が信じていることをできないということ。
学校に行かなきゃいけないとか、子どもがいるからできないとか、
お金がないからとか、時間がないから。
誰がそう言ったのですか?
それを言っているのは自分自身でしょ?
自分がそれを言って、自分で言い訳にしている。
そういうの、やめませんか?
自由に生きませんか?
今、自由だと言われているけれども、みんないろんな鎖につながれている。
ありもしないような柵があると思っている。
柵があるから外に行けないと思っている。ないのに。
鍵がかかっていないのに、かかっていると言う。確かめてもいないのに。
自由に生きると文句を言われる、嫌われると言っているけれど、
誰があなたを嫌うのですか。誰があなたを笑うのですか?
そんなものは、勝手に作り上げた幻でしかない。
いたとしても、
やっちゃだめだと言う人たちは、それをやってきたことがあるんですか?
やってもいないのに、それをやったら失敗すると、何故言えるんですか?
そして、何故そんな人の言うことを信じるのですか?
騙されないでください。
ぼくはそういう風に生きている。
だから、みなさんがここに集まっている。
まとめ
今日、来て良かったと思える人がいたら、 人に、知っていることを何人かに教えて下さい。タダで教えて下さい。
みんなが繰り返してくれるように。
自分たちのワークショップをもってもらえるといいなと思います。
そういうと、"私なんか"、と言う人が出てきますが、
"私なんか"はやめてください。
あなたはスターです。
あなたがしている仕事を、したいと思っている人がいるんです。
その人に、教えてあげて下さい。
クッキーを作るのが上手な人は、クッキー作りを教えてあげて下さい。
一人一人が、
"私なんか"と思っているから、
世界が変わらないんです。
自分が変われば、世界が変わると思います。
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