2021/04/02
近年急速に多様性の重要さが叫ばれるようになってきました。
僕も当然同じ考えですが、僕が多様性を大切だと思っている理由は「そのほうが人間が傲慢(あるいは卑屈)にならずに済む」からだと考えています。
例えば猿山の猿は、もし自分がその山しか知らなければ次のような環境の中で生きていくと思います。

この社会にはヒエラルキー(上下関係)が存在する
自分が影響力を最大限に発揮するにはそのヒエラルキーの頂点に君臨する(ボスになる)必要がある
そのためには他の猿と争う必要がある
争うには力(腕力と知恵)を付ける必要がある
猿同士に力関係が生まれるため、勝ち上がった猿は傲慢に、負けた猿は嫉妬・恨み・妬みなど負の感情を宿す
このような状況は決して健全ではないと考えます。
もし他にも猿山があることを知ったり、山ではない平野に暮らす他の動物がいて皆がフラットに交流できると知ったらどう思うでしょう。
自分と違う生き方をしている動物がいることを知り、世界が広いことを認識し、自分がいる猿山が大海原に浮かぶ小島の一つでしかないことに気付き、今まで争っていたことの小ささを感じるのではないでしょうか。
人間社会も同じで、昔は人間が物理的に移動できる範囲も限られていましたが、今は交通網も発達してインターネットもあり、(費用や時間の制約はあるものの)リアル・バーチャル含めいつでもどこにでも気軽に移動し、いろいろな人に会い、多様な価値観に触れられるようになりました。
この流れがもっと加速すれば特定のヒエラルキー内におけるボスの感覚も持ちにくくなり、結果として人間から傲慢さ(あるいは卑屈さ)が消えて争いも減っていくのでないかと思うのです。

簡単な例でいうと、自分の国と別の国がいがみ合っていたとしても相手の国にたった一人でもいいから友人・知人がいたら「国は国、でも個人同士の付き合いは全く問題ない。よって争う必要はない」という風に考えられるのではないでしょうか。
国も地域も人種もジェンダーも越えて、多様性をシャワーのように浴び続ける毎日を送っていればいつしか世の中から争いがなくなっていくと思います。
ここ数年で多様性のある暮らしをサポートしてくれるサービスも相次いで立ち上がってきており、希望を感じます。
僕も最近はその方面の言語化も増えてきました...
最近思うのは「多様性を受け入れる」と頭では理解していてもネットの情報や書籍などでは知識止まりになってしまうので、実感として自分の中に宿すにはやはりいろいろな人と直接会話して「自分とは違う生き方を選んでいる人が目の前にいる」という圧倒的な現実感を得ることが大切だと思っています。
— 木檜(こぐれ)和明@ITエンジニア (@kogurek1) March 23, 2021
急に人を信頼するのは難しい気もするので、まずは第一ステップとして多様性を認めて受け入れる(必ずしも共感する必要はない)のもアプローチとしてありかなと。
— 木檜(こぐれ)和明@ITエンジニア (@kogurek1) March 22, 2021
そのためにはまず自分自身に多様性をもたらすために、現状維持バイアスを自ら突き破っていくことが大切かなと思っています。 https://t.co/4JprbI6QZ9
ここ最近自分の中に急激に押し寄せてきた価値観。#コリビング#多拠点生活#バンライフ
— 木檜(こぐれ)和明@ITエンジニア (@kogurek1) February 28, 2021
今までの「スキルは多様性」「暮らしは定住」から「全て多様性」に変わってきています。
柔軟な生き方を考えるには黒田悠介さん(@chlorine0528)の著書『ライフピボット』もオススメhttps://t.co/JhpQO1dRQw
少し前の動画ですが #HafH アンバサダーミートアップを見ていてみなさんすごく多様で柔軟な生き方をしているなと思いました。
— 木檜(こぐれ)和明@ITエンジニア (@kogurek1) March 19, 2021
今までの生き方はいろいろな意味で固定化しているので、これからは働き方も暮らし方ももっともっと流動化していいんじゃないかと思います。https://t.co/9IcYo07GSZ